私たちが見つけた、本当の気持ち 幸せを呼ぶ感動ストーリー

story No.02

『今あなたは、あなたのことを一番大切になさい』

その日、彼女は突然布団を中庭に持ち出し「ここでねる!」と言い出した。六月も初旬だとはいえ、真夏の夜の暑さを思えば、まだまだそんなに寝苦しいというはずもなく、ただただ訳の分からないものに見えた。
彼女の譲らぬ意志の強さを感じた職員は、最後に止む無く中庭にブルーシートを敷き、その上に布団を敷くことを選択した。彼女はこれから一週間後、再び部屋に戻って寝てくれることになるのだが、この日を皮切りに彼女はたくさんのことを私たちに教えることになるのだった。

ある日、朝から何回もかけている電話に母親が出られず、やっと夕方になってつながった電話に、いつもは上手に受け答えができるはずの彼女が「でんわ!うるさい!!」と叫んで、とてもやりとりにならないのである。職員は、受話音量を小さくしたり、着信音量を小さくしたりと慌てて対応したが、「でんわ、うるさい!」は無くなることがなかったのである。
彼女の心の扉を開ける鍵は実はここにある。彼女の伝えたいことは本当はこうなのだ。【(わたしの)でんわ、(おかあさんは)うるさい(ですか?)】。これが彼女の一番確かめたかったことなのだろう。

彼女の心はいつも否定的な気持ちで満たされている。
自分さえいなければ…、自分はいつでも邪魔にされている…、自分の存在は迷惑である…。

実は、人間が何かを伝えたいとき、その多くは自分が利益を得るための行動として表現される。赤ちゃんだって「おっぱいが欲しい」「オムツを替えろ」、みんな自分の利益のためである。
彼女が中庭で寝たとき、私たちはまずその行動が何の利益を彼女にもたらすのかを考えた。
「もっと帰省をしたいのではないのか?」
「なにか帰省時に母親や父親に要求したいことがあるのではないのか?」
「静かなところで寝たいのではないのか?一人になりたいのではないのか?」
いろいろの仮説が考えられ、実行に移された。しかし、彼女は中庭に寝たまま、三日が過ぎ、五日が過ぎた。

彼女の行動が、自分の利益を得るためでなく、誰かの利益のためになされているものだったら、いったいどのように理解できるのだろうか?発想のコペルニクス的転換だった。
彼女が明星学園星組に入所したことで、祐太(仮名)さんは雪組に異動になった。時々星組を訪ねてくる祐太さんに職員は「ごめんね」とか「元気にやっている?」とか盛んに声をかけている。それを見ている彼女の感じ方はこうに違いない。
「自分が星組に入ったばっかりに祐太さんはクラス異動になった。辛い思いを私のせいでさせている。私さえいなければ、私さえ部屋を出て中庭で暮らせば、一部屋は空く。そうすれば祐太さんは星組に戻ってくることができる。そうすることができるんだったら私は中庭で寝る。どうせ私は、みんなに迷惑をかけているんだから」と。
彼女の発信行動は、決して自分の利益のためではなかった。彼女は自己犠牲の道を歩んでいたのだ。私たちは彼女に話す。
「祐太さんはあなたのせいで異動になったんじゃないよ。祐太さんも今から十年も前は今のあなたと同じように、とても苦しい時期があったんだよ。誰にも自分のことをわかってもらえなくて。
それから十年、職員全員が一緒になって、お母さんやお父さんの力も借りながら、どうやったら幸福になれるか考えてきたんだ。そうやって、もうすっかりお兄ちゃんになれた祐太さんは星組を卒業なんだよ。
今度はあなたがこの星組で、職員みんなと一緒になりながら、お母さんやお父さんの力を借りて、どうやったらみんなと仲良くなれるのか、どうしたらみんな幸福になれるのかを考えていくんだよ。今の星組にはあなたが必要なんだ。職員全員があなたのことを一緒に考えたいと思っているんだよ。あなたの今一番大切にしなければならないのは、祐太さんの幸福ではなくて、あなた自身です。」
こうして、この夜から彼女の就寝場所は中庭から部屋へ戻った。

『本当の気持ちと出会うとき‐知的障がい者入所支援施設30年の実践を語り・伝える 見えないこころとこころを紡ぐ意思決定支援43の物語‐』宮下 智(著)より一部抜粋