私たちが見つけた、本当の気持ち 幸せを呼ぶ感動ストーリー

story No.01

『そう、彼女は怒っていたのだ』

夜、7時、携帯電話が鳴った。「由美(仮名)さんが発熱です。三十八度五分の熱があります。」
学園の職員からの連絡である。前触れなしの発熱には二本立ての対応が必要だ。ひとつには単純な医療的ケア、重度の知的障害者が対象の場合、さらに大切なのは、その発せられた身体症状を何かの伝達だと捉える心のケアの立場である。
「咳も鼻水もありません。ただ顔が真っ赤です。食後、突然顔が赤くなったので、おかしいと思って熱を測ったら八度五分だったんです。」
由美さんとのやり取りは、単純なイエス、ノーでさえもなかなか表情からは読み取れない。
数日前、彼女は指を口の奥まで突っ込んで強く噛んだのか、ちょうど指の股の所に大きな傷ができ治療中だった。そこでここ数日、食事以外の時間は車椅子の手すりに手が口に行かないように縛らせてもらっていたのである。もちろん彼女に事情は説明しながら。
彼女の食事方法は、運動障害のある左手を精一杯使っての手づかみである。皿も工夫され、縁が高くなっていて手に押された食物がこぼれないようになっている。彼女はみごとにきれいに食べ尽くす。その姿をみて、人はスプーンの練習をしてみたら?とか介助してあげたらと言うのかもしれない。しかし、食事時の彼女の満足そうな表情を知っているのならとてもそんなことは言い出せない。彼女の表情は、いかに食事というものが本人の喜びに通じているのかを教えている。
「夕食はどうでしたか?食欲はありましたか?」
夕食の直後に発熱があったというから、その周辺の情報収集である。
「介助で完食しています。」
「介助したの?指示は確か食事だけは手を自由にさせて、好きなように食事をしてもらい、食事後に傷の治療をして再び拘束させてもらうことだったはずじゃないですか?」
全く拘束しなければ、唾液から傷口に様々な雑菌が入り治癒は望めないだろう。しかし、僕らは彼女が自分の手で食事をしたいと思っていることを常日頃の彼女の表情から確認している。
「彼女はたぶん自分の手で食事をとりたかったんだと思いますよ。由美さんは怒ってるんじゃないかな?なんで手を自由にしてくれないのって。私は介助じゃなくて自分の手で食べたいのよって。まず彼女に謝ってみてください。自分の手で食べたい気持ちに気が付かなかったこと、縛られている手を自由にする時間を取れなかったことを。発熱の原因が他にあれば他の対応も考えなくてはならないのでまた一時間ほどしたら状況を報告してください。」
食事も排泄も着脱も全面的な職員の支援がなければ暮らせない彼女である。そんな支援の中で彼女は今までに不満や抵抗をほとんど示したことがない。あくまでも従順だったのだ。
電話が鳴った。
「謝って、次から気をつけることを話したら、みるみる顔の赤身がとれてきて、熱を計ったら三十六度五分でした。申し訳ありませんでした。由美さん怒っていたんですね。」
食事時に手を自由にすることは、彼女にとって、手を車椅子に縛ってしまうことの引き換え条件にも似た約束だったに違いない。そう、彼女は確かに怒っていたのだ。また職員が示す謝罪にも彼女はすばやく反応した。謝られた瞬間に体温が二度も低下したのだから。彼女は気のいいやつなのだ。
「こんなにちゃんと怒りを職員に伝えたことは今までに無かったんじゃない?ひょっとしたら初めてかもしれないね。由美さんには<教えてくれてありがとう>と伝えてくださいね。」

閉じ込められていた気持ちは、まず初めに怒りの発信によってその蓋が破られる。その怒りが周囲に受け入れられた時、寂しさや辛い気持ちが溢れ出る。そして、その気持ちが受け入れられれば、ささやかな希望や期待が形として伝えられる。叶えられていく希望や期待は、穏やかな気持ちを作り出す。

『本当の気持ちと出会うとき‐知的障がい者入所支援施設30年の実践を語り・伝える 見えないこころとこころを紡ぐ意思決定支援43の物語‐』宮下 智(著)より一部抜粋